2011年3月11日(金) 14時46分 18.1秒
日本を未曾有の自然災害が襲いました。
東日本大震災です。
僕は当時、渋谷のオフィスの近所にある蕎麦屋で
遅い昼食を取ろうと、注文をした直後でした。
繋がらない携帯電話、避難する人々、
千葉のコンビナートの火災、帰宅難民の人の群れ、
携帯電話のワンセグで見た津波の映像。
当時はまさに悲惨でした。
3年以上経った今でも、記憶は鮮明です。
まだ、立ち直れない人もたくさんいる。
けれど、希望もありました。
震災の直後、アメリカに行った時も、
2011年9月に初めて台湾を訪れた時も、
たくさんの人が日本を気遣ってくれているのを肌で感じました。
台湾、アメリカだけではありません。
事実、ニュージーランド、オーストラリア、
ドイツ、スイス、イギリス、フランス、ポーランド、タイ、
トルコ、ロシア、シンガポール、ブータン、アフガニスタン……
挙げ出したらキリがないくらい、たくさんの国の人が、
救助に駆けつけてくれました。
義援金を送ってくれました。
応援してくれました。
祈ってくれました。
色んな方法で、我々のそばに居てくれました。
これもまた、忘れられない記憶です。
今、関係がうまく行ってない国があるのは事実です。
きな臭い動きをしている国すら有る。
我々も振りかかる火の粉があるなら、
燃え上がらないうちに消さねばならない。
ジョン・レノンの語った愛に近づくまで、
人はあと何度進化すれば良いというのか。
だけど、あの日、私達に向けられたメッセージの中で
我々は、国や宗教や言葉の壁を越えて一つになった。
その中に、無限の可能性を感じます。
世界を旅する事で、何かつかめるのか。
つかめたとして、凡夫たる自分に何ができるというのか。
けれど、凡夫が凡夫として、何かをつかめたならば、
何かを想い、考えられたならば、
そこにこそ意味があると思うのです。