4年振りの友人と、2年振りの友人に
会うためにシンガポールに来て居ます!
友達なつかしー
物価たけー
都市部は洗練され過ぎー
などの感想を抱きながら、かなり忙しい
毎日を送ってます。
ちなみに今日は、
エイを食べて、
ジャングルへ行って、
るろ剣見てくる予定です。
るろ剣は日本で見ろってツッコミはなしの方向で。
おまけ
友達に「これって、君を象徴するような
Tシャツだね」って言われた。
レベルが上がるごとに、女子が引いていく……
くそぅ。
シンガポール着きました!
今、友達の家です。
台湾についてはまた、いろいろまとめます。
取り急ぎ、2カ国目です!
台湾の人は、とても親切です。
親切過ぎて、「あれ? この人もしかして、
俺の彼氏なんじゃね?」って思うレベルですw
昨日とか、綺麗な夜景見せてくれた!
昨日、台北駅で会った友人との会話。
てんてん(台湾の友人)
「実は先月、俺も日本に行ったんだよね。京都」
僕
「うん。どうだった?」
てんてん
「神社仏閣いっぱい見たよー。綺麗だったー。
まー、一緒に行った彼女の趣味なんだけどさ」
僕
「おー、良かったじゃない」
てんてん
「でも、ひとつだけ嫌な事があって……」
僕
「ど、どうしたの?」
てんてん
「日本人からすれば台湾人も、中国人も中国語話すし、
見分けつかないじゃん?」
僕
「うん。そうだねぇ」
てんてん
「中国人がさ、団体でうるさくてってさー
マジ迷惑だった」
僕
「そ、そっか」
(そういや、20年ほど前の団体日本人旅行客もNOKYO(農協)って
世界中に迷惑かけて有名だったよな)
てんてん
「俺、中国人に間違われるの、一番いやなんだよね!」
俺
「そ、そう。
じゃあ、外国では日本語か、英語喋ってればいいんじゃね?」
うん、知ってるw
ここで、台湾の友人の話をさせて下さい。
■劉君
タグ [AKBヲタ][いただきまゆゆ]
劉君との出会いは、2011年の9月にまでさかのぼります。
2011年3月、日本は未曾有の大災害を経験しました。
人の心、街、経済、インフラ、日本中の様々なものに深い爪痕を残したあの大震災の後、我々は手を取りあって復興を目指してきました。
それは、世界中のあらゆる国が友人となって、支援してくれたからこそ、できた事です。
しかし、当時の日本の政権は「国交がないから」という理由で、何のアクションもしなかったのです。
それはとても恥ずかしい事だと感じました。
だから、一日本人として、お礼を申し述べる旅をしようと思い立ちました。
その旅の途中でたくさんの人にお礼を伝える事ができましたが、劉君もその一人だったのです。
中華大学の日本語学科の学生であった劉君とは、一回りも歳の差がありましたが、すぐに打ち解けました。
日本に帰ってきてからもFacebookを通じて、幾度かメッセージを交わし、2013年新春のFF(日本でいうコミケのようなもの)に一緒に行ったりもしました。
台湾に来る度に必ず会う友人です。
ただ、知り合ったのが……
[tegaki]アニメイトというのがなんだかなー[/tegaki]
■玲ちゃん
彼女とは、2013年のFFで知り合いました。
↑右の人
劉君の友達の友達というちょっと遠めな出会いだったのですが、気さくなヲタ女性だったため、すぐに仲良くなりました。
メイクのプロで、中国語学科の学生だったのにも関わらず、
かなり流暢な日本語を話す才女。
彼女が日本に来た際には、僕を含め、ロッポンギ達と一緒に遊んだりしているので、今回のロッポンギの訪台でも普通にコミュニケーションを取れていたのです。
両岸サービス貿易協定の問題が(ネット限定ですが)ニュースになった時にも、色々と教えてくれました。
台湾が合法的に侵略される未来は僕も決して見たくない。
彼女と劉君を通して、さまざまな友人に出会いました。
みんな、とても親切です。
台湾は親日なのか?
答えはイエスです。
吉野家、サイゼリヤ、UNIQLO、資生堂etc…
台湾の街中に日本のブランドの看板が並んでいます。
そして、多くの人が言います。
「日本製のものは良い」と。
だから、僕は、
それに恥じぬ日本人でありたいと切に願います。
それはジェットスター航空のチェックインの時のことでした。
CAのお姉さん「台湾入国には、日本への帰国チケットか 別の国へのフライトチケットが必要ですが」
↑(私の呆けた顔を想像する事)
そうなのです。
アホな私は入国の条件などろくに調べもせずに、
『飛行機のチケットなんて、次の国に向かう直前に買えば
なんとかなるよねー』などと、無計画な事を考えていたのです。
ジェットスターのスタッフの方のお陰で、
なんとか台湾→シンガポール行きのチケットを取り、
その場はしのいだのですが、
波勢君「うん。この時点で分かって良かったじゃないか
むしろ、いい勉強になったよ」
などと、私のアホさ加減を十年来の友人に見せてしまう 結果と
なったのです。
その後、波勢君に別れを告げ、30分の飛行機の遅れが発生したものの、
無事に台湾に入国できた私は桃園国際空港から、バスに乗って台北へ。
友人に会うべく、MRT西門町駅へ向かいます。
さて、何故私がこんなにも慌ただしく日本を出て、
台湾に渡ったのか。
↓それは、この男に会うためだッ!!!
↑右の男。
実は私、東京で働いていたんですが、訳あって下関へ出向し、
紆余曲折あって、会社を辞め、世界一周の旅に出ることにしたんです。
彼はその東京時代の友人(通称ロッポンギ)。
歳はかなり離れていますが、可愛い弟分のような存在で、
一年ぶりに会うため、彼のお盆休みに台湾旅行を被せたのです。
↑台湾の町並み
この後、台湾の友人の劉君(男)、玲ちゃん、楓ちゃん、
劉さん(女性)と合流し、士林夜市近くのタイ料理屋で夕食。
↑士林夜市
台湾に来て、なんでタイ料理やねん!というツッコミは無視する方向で。 この後、ホテルに帰って一泊! また、明日。
さて、ようやく旅の記録でございます。
僕が会社を退職したのが、8/12。
お昼休みに市役所まで行き、住民票を抜きます。
それはなぜかと問われたならば!
来年の1月1日には日本に居ない可能性が高いからです。
(日本の法律では、元旦に住民票がある市町村で住民税が発生します)
その帰り道、海岸沿いを社用車(自転車)で走りましたが、
下関の海は美しかったです。
定時ちょっと過ぎに仕事を終え、
マンションに帰宅。
最後の夜はセンチメンタルになるかと思いきや、
最後まで仕事がハードだったため、部屋の片付けが大変!
数時間ほどしか寝ずに、翌朝を迎えます。
ガス屋さん、電気屋さん、クロネコヤマト、
そして不動産屋さんに最後の立会をしてもらい、
ようやく部屋を引き払う事ができました。
その後、大阪を目指すため、門司の阪九フェリーへ向かいます。
というのは、ちょうどお盆の時期だったため、
飛行機のチケットは激高。
しかし、そんな中、正規の値段で取れたジェットスターの
発着点は関西国際空港。
福岡空港だと、どんなに安くても片道5万円はしてた
チケットを考慮すると、フェリー代1万円払っても、
2万円のチケットを取った方が安かったんです。
一晩、フェリーに揺られ、南海鉄道を経て関西国際空港へ。
見送りに駆けつけてくれた友人の
波勢くん(※リンク)としばし、談笑し、出国準備。
ところが、ここで思わぬアクシデントが!